こんにちは。
元美術教師のうさぎ先生です。
このカテゴリーでは教育系ニュース記事を読んで、教育現場にいた頃を思い出したり、離れた場にいるからこそ客観的に見えたりしたことを、うさぎせんせいなりに書き留めていきます。
#先生死ぬかもという言葉が、Twitterのトレンドになったそうです。
後に分かったこととしてはこれは自然発生的なトレンドではなく、イベントをきっかけとしたものだそうで少々安心しましたが、それにしても気になってしまうキーワードです。
今回は「新型コロナウイルスと夏休み前後の学校」に関するニュースを見ながら、#先生死ぬかもがトレンドになったことについて、そして先生の辛さが生徒に伝わってしまうことの是非について考えていく記事です。
コロナウイルスと学校の夏休み
《神戸新聞NEXT》の7月28日の記事です。夏休みに入ってすぐの記事ですね。
「従来、朝は読書などに充て、心が落ち着くいい時間だったのだけど」と戎校長。「掃除の時間も削り、余裕を持てる時間はなく、息継ぎせずに泳ぎ続けているような日々」だという。
https://www.kobe-np.co.jp/news/kyouiku/202007/0013550333.shtml
休校中に失われた約200時間を取り戻そうと先生も生徒も必死な状況を伝える内容で、記事タイトルには息継ぎせず泳ぎ続けているようとあります。
授業の進め方も様変わりした。同校は、2021年度に始まる新学習指導要領に沿うよう、数年前から「対話的な学び」に力を入れてきた。グループで意見を出し合い、分からない部分を互いに教える。「分からへん」と気軽に言えるスタイルで、生徒たちもすっかりなじんでいた。
https://www.kobe-np.co.jp/news/kyouiku/202007/0013550333.shtml
しかし、新型コロナの感染防止のため、教師が教壇から講義するかつての形に戻さざるを得なくなった。「分からなくても言いにくい。いつの間にかどんどん進んでいる」「でも、高校入試の対象範囲は縮小されず、変わらへんから」。生徒から愚痴が漏れる。
感染対策という観点からもスピードという観点からも、新学習指導要領(2021年度実施)を目指して各校取り組んできた対話型の授業スタイルは残念ながら崩れてしまった様子です。生徒も先生も、せっかく慣れてきたころだったでしょうに……。
戎校長は実感を込めて語る。「生徒に強いる忍耐は計り知れない」
https://www.kobe-np.co.jp/news/kyouiku/202007/0013550333.shtml
いやほんと、間違いないですよね……。
そしてそんな生徒を支える先生は……と考えると、この時点でゾッとしてしまいます。
例年夏休みに行われる部活や合宿に関しては今年は減少傾向にあるとは聞きますが、授業が進んでいくならば……それこそ息継ぐまもなく9月を迎えることになりますよね。
夏休みを短縮する学校は95%
《NHKニュース》の7月19日の記事です。
その結果、先月23日の時点で、学習の遅れを取り戻すために夏休みを短縮すると答えた教育委員会は、全体の95%にあたる1710の教育委員会に上りました。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20200719/k10012522851000.html
短縮しない学校も、5%あるんですね。
4月には《同時双方向型のオンライン指導を通じた家庭学習を実施している学校は5%》という調査を見ましたが、これはつまり、5%の学校は短縮する必要はないとかそういうことでしょうか……?
もちろんケースバイケースでしょうが、この5%という数字は興味深い一致ですね。
「#先生死ぬかも」が、トレンド?
教員の質保障が危ぶまれる
《Yahoo!ニュース》の8月16日の記事です。
お盆休みの14日、「#先生死ぬかも」がTwitterのトレンドに入った。2018年11月にこのハッシュタグを発案したお笑いジャーナリストのたかまつななさんが、14日に開催されたオンライン・イベントで参加者にはたらきかけたことがきっかけだ。
https://news.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/20200816-00193431/
「#先生死ぬかも」なんてゾッとする話ですが、どうやらイベントをきっかけにトレンドになったとのことです。自然発生的なトレンドではなかったところには、少し安堵しました。
教員が疲弊していては、教育の質保障も危ぶまれる。子供とこの社会の未来はどうなるのか。いま、先生たちに多くの応援団が付いている。苦悩の声を学校の外に見える化しながら、業務削減等の理解を求めていく必要がある。
https://news.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/20200816-00193431/
教育の質保障については、わたしのような若輩者が言うのもおこがましいのですが、かなり危機的状況だと思っています。
わたしは私学に勤めていたので、経営としての考えで「生徒がいなくなれば、学校はなくなる」とはよく聞かされていました。
私学は一企業と同じなので、経営度外視というわけにはいきません。これはごもっともです。
しかし同時に、私学だからこそ「先生がいなくなれば、もっと言えばこの学校の魅力を維持できる先生がいなくなれば、学校はなくなる」ということをわたしは強く思っていました。
私学が選ばれる理由の一つは、独自性です。何十年もいる名物先生なんて存在があるのも、原則異動がない私学ならではの面白さですよね。
しかし、授業が巧みな先生、部活指導に実績がある先生、生徒保護者や同僚からの信頼が厚い先生に、仕事が偏る場面をよく目にしました。
新しい先生があまり入ってこない環境なので、引継ぎというシステムが整っていない学校も多く、ますます偏ります。偏って偏って疲弊して……辞めていく姿を何度も見ました。悪循環ですよね。
素敵な先生が体や心を壊して
どんどん辞めていくのは
見ていて本当に辛かった……
また、私学に限ったことではないところで言うと、教員の不祥事というものも残念ながら話題になることがあります。一部の先生の影響で、教師そのものへの風当たりが強くなる場面もあると感じますし、教員志望の学生が減少傾向にあるというのもうなずけてしまいます……。
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教職の負の側面は、ネット空間で語られるべきなのか?
「#先生死ぬかも」をはじめ、教職の負の側面がネット空間で語られる土壌ができあがっている。教職に魅力がないということを言っているわけではない。魅力は十分にあるから、あとは大きすぎる負荷を減らしくということである。
https://news.yahoo.co.jp/byline/ryouchida/20200816-00193431/
ネット空間で語られる土壌が出来上がっている、とありますが、Twitterのハッシュタグということは生徒・学生という立場のユーザーにも容易に見えてしまいます。
Twitterの利用規約では使用は13歳以上とはなっていますが、果たしてそれがどれだけ遵守されているのかというと……というところも気になります。
わたしとしては、生徒が「先生は忙しいから、質問行くのやめよう」「わたしたちのせいで、先生辛いんだ……」という発想になることが怖いです。
たとえその土壌が匿名性の高いものであったとしても、先生の辛さを慮ることができる生徒であれば、先生という立場に対して気を使ってしまうのではないかと思ってしまうんですよね。
もちろん、このハッシュタグだけが悪だとは言いません。身バレを気にするような、過激な教師暴露ブログはたくさんあるようですしね。
しかしTwitterは、わざわざ検索しなくても見れてしまうような、よりいっそう子どもたちに近いツールなのです。それを介するということはもはや、大人の世界だけの情報共有ではすまないですよね。
わたしは在職時にこの#先生死ぬかものハッシュタグを知ったとしても、きっとつぶやけなかっただろうなぁと思います……。
まぁ、吐き出す場がなくて
辞めることになってしまった
とも言えますけれどね……
おわりに
今春以降の新型コロナウイルスにより、教育現場や先生の過酷さに対して、これまで以上にスポットライトが当たるようになったと感じています。
単純に、わたしにニュースを見る時間と心の余裕が出来たから、目につくようになったっていうだけかもしれませんけれど……(^ x ^;)
わたしはどちらかというと「自分の大変さや辛さを、生徒や保護者に察されてはならない」という考え方でした。なんなら同僚にも、です。
環境というか雰囲気によるものも大きかったですし、「出来ないって言いたくない」というプライドもあったんだと思います。
その気持ちが邪魔をして、まぁ、結果的に続けられなくなって退職してしまったわけですが……。
Twitter上のような、生徒に自分の不安を知られる可能性がある場ではなかなか吐き出せない人も多いでしょうし、何か先生のカウンセリングのような場があればいいんですけどね。
これからの子どもたちのためにも、先生を続けて行きたい人が続けやすい世の中になっていくことを強く望みます。
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