こんにちは。
元美術教師のうさぎ先生です。
今回は、結果的に最後になってしまったホームルームで扱った「ほめ合い大会」について書いていきます。
昨今の匿名による誹謗中傷にまつわる辛いニュースを見て、思い出してしまいました。
2月のある日のホームルーム
最後のつもりはなかったのだけど
休校の影響で、結果的にこれが最後のホームルームになってしまいました。
中学卒業を間近に控えて、それぞれの進路選択にそわそわして、ちょっと調子悪い子が多かったんですよね。
そこで、「クラスの中でほめ合い大会をしよう」と生徒に投げかけました。
具体的な方法
①紙に、クラスの3分の1ほどの人数分の枠を設定。
プリントとしてあらかじめ印刷しておきます。
あんまり多いと埋まらないし、少なすぎると普段付き合いがある子しか書かないので・・・。自分の名前は無記名にします。
《ほめ言葉を生み出すモードにすることが目的》なので、相手に渡しもしないしみんなの前で発表などもさせないことを宣言します。
これ、結構大事です。発表するとなると、一気に書く内容がつまらなくなります。
②イニシャルでも△△さんでもいいから、「誰のどういうところをいいなぁと思うか」を書いてもらいます。
ここで机間巡視しながら、「シャーペン拾ってくれたとか、めっちゃ小さいことでもいい」「髪型が可愛いでもいい」などと具体的に話します。内容については自分がほめていると思える内容ならささいなことでもいいということを強調します。
③全体的に進んできたところで、「最後の1枠には、自分に対するほめ言葉を書いて」と投げかけます。
「えー!」と言いつつ・・・ほめるモードになっているので、「最近朝早く起きてる」とか「入試頑張った」とか「弟と遊んであげた」とか・・・小さなことも自分で拾いやすくなります。
④田の字に折って、見えないようにしてから回収。
「見られてもいい!という人もいるだろうけれど、見られたくない人は言いづらいだろうから、全員折ってね」と声をかけます。
わたしはこの田の字折り回収を日常的に実施していたのでなんなくすんなり折ってくれて、回収。
「見られたくない人もいる」と
自分と違う考えの人がいることを
さりげなく意識させるための
習慣づけでした。おすすめです。
実施の背景
このほめ合い大会は、何日か前に生徒に予告して実施しました。
予告の際に生徒にも話したのですが、「たとえ100回褒められても、1回蔑まれると、どうにもその1回を気にしてしまう。100回褒められたことを忘れてしまうぐらい気になってしまう。」という・・・。
これ、誰かがテレビで言ってて、誰だったか・・・(^ x ^;)
でもほんとそうなんですよね。
だから、ちょっとでもプラスの言葉を使えたらいいね。
マイナスの言葉を受け取ってしまったら、100回褒めてくれた誰かのことを忘れないようにしたいね。
そんな話をすると、しーん・・・として、思い当たるところがありそうな雰囲気でした。
100回褒められたことを思い出すことは、思春期にはなかなか難しいんですけどね。大人でも難しいです。
予告した後に
予告した後、「わたしはあの子のいいところを見つけられない」と、相談に来た子もいました。
あの子は自分の好きな芸能人の話ばかりを弾丸トークしてきていつも困ってて・・・という内容だったのですが、「周りの様子を気にすることなく、好きな芸能人への愛を様々な言葉で紡ぐことができるのは、ある意味すごくない?真似できる?」と、うさぎ先生は答えました。
「・・・真似できない。なるほど。」と、彼女は答えました。
もちろん同時に、「もうちょっと周りの様子を気にして!という気持ちは分かるけどね(笑」という話をするのですが・・・。悩み事には、共感も大事です。
おわりに
最近の報道を見て
このホームルームを実施したのは2月です。それから生徒には会えていないのですが・・・。
最近の報道を見て、あのホームルームを共有した生徒たちはどう受け止めているかな?と思い、つい記事にしてしまいました。
当該の番組を見たことないのでなんとも言えない部分もあるのですが、世の中の動きとしては、おそらく「SNS上での・匿名での誹謗中傷」をなんとかしようということなんですよね。
わたしとしては、SNS上だと確かに《過激化しやすい》とは思うのですが、そもそも腹の中にある時点で・・・。
普段の視点として「誰かにぶつける」「誰かを蔑むことで自分を保つ」ことをどうにかしていかないと、媒体やターゲットがころころ変わるだけだと思ってしまいます。
「誰かにぶつける」「誰かを蔑むことで自分を保つ」しか術がない人は、大人にも子どもにも、います。
子どもに当たる親族だって・・・悲しいけれど、いらっしゃるわけですよ。大人を変えること、大人を支えることは、とても難しいです。
教育現場にできること
大人を変えること、大人を支えることは、とても難しい。
だからこそ教育現場の役割としては、子どものうちになるべく術を増やしてあげることなのかなと思います。
「加害者のためにしてやることなんてない!」という意見もありそうですが、加害者が減らなければ、被害者は減りません。
うさぎ先生は、一回考えてしまってぞっとしたことですが・・・《世の中の罪を犯す人が全員学校教育を受けていたとしたら、わたしの教え子の中にも、罪を犯す未来があるかもしれない》のです。
考えたくないけれど、事実ではある。
まぁ《水を飲んだ人は全員死ぬ》みたいなものなのですが・・・
逆も然りで、《世の中の傷つけられる人が全員学校教育を受けていたとしたら、わたしの教え子の中にも、傷つけられる未来があるかもしれない》です。
なんかどっちみち、守りたいよね。
加害者にも被害者にもさせたくないよね。
わたしは比較的生徒と年齢も近かったし、いろいろ相談してきてくれる生徒はありがたいことに多かったので・・・。
ちょっとでも生きていきやすくなってくれたらなぁと思って接していました。ポジティブフレームってやつですね。
ほめる=「好きになりなさい」ではない、ところもポイントです。
うさぎ先生は、「みんなで仲良く」は綺麗事だと思っているので。
程よい距離感を見つけることが、お互いの過ごしやすさに繋がるという考え方です。
みんな、どんな大人になるのかなぁ。
先生は先生だから、もう関われないのが残念だなぁ。
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