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美術の先生は変な人が多い?!世間の持つ“美術の先生像”に苦しんだ元美術教師

美術の先生像好みで成績をつけている変わり者 学校の先生
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こんにちは。
元美術教師のうさぎ先生です。

教員として8年間勤める中で、保護者や生徒、同僚の思っている《美術の先生像》が分かってきました。

世間の持つ《美術の先生像》って、こんな感じであることが多いんです。

  • 美術の先生は、自分の好み成績を決めている
  • 美術の先生は、自分の好きなものしか認めない
  • 美術の先生は、勉強ができない

なんていうか、あんまりいい印象ではないですよね…笑

こういった見方をされている場面の多さに気付いたわたしは美術の先生として過ごすことが窮屈でしたし、自分自身が本当に好き・可愛い・面白いと思うものについて、学校という場では表現できないと思ってしまいました。

どうしてこんな見方をされるんだろう?と在職中は苦しかったものですが、今回の記事では改めて、《美術の先生あるある》について考えていきます。

ぜひ最後までご覧くださいね。

こんな学校に勤めていました

  • 美術教師(常勤講師2年、専任教諭6年)
  • 20代女性
  • 私立の中高一貫女子校の中等部
  • 担任学年は3年間持ち上がり
  • 一クラス3〜40人 × 5〜7クラス
  • 生徒一人ひとりの個性を伸ばす校風
  • 教師には手厚く丁寧な対応が求められる

私立校と公立校では仕組みが異なる部分も多く、学校ごとに独自の要素もいろいろあります。

あくまでも在職当時のうさぎ先生は…ということで一例としてご理解くださいね。

①美術の先生は、自分の好みで成績を決めているの?

ノリでぱぱっと成績つけてる?

これはもう…
言われることがものすごーく多いです。

ノリでぱぱっとつけてるんでしょ?
センスでつけてるんでしょ?的な感じですね。

こっちがどれだけ考えて気を使って採点してると思ってるんだー!!!

…と、ちゃぶ台をひっくり返したい思いです。

ペーパーテストのように採点の光景が思い浮かばないからそういう発想になるのかもしれませんが、作品に点数をつけることは本当に難しく、何時間も作品と規準と基準とにらめっこして採点しています。

評価基準と評価規準

美大時代に受けた評価基準・評価規準についての講義は特に印象に残っています。

受講生みんなで評価規準を聞いて作品を作って、それを互いに評価基準に合わせて採点する、という講義でした。
生徒役も先生役も両方やるっていうことですね。

評価基準
評価規準の習得状況の程度を明示するための指標を、数値や記号、または文章表記した「ステップ分け」のようなもの

評価規準
子どもに身につけさせたい力を、より具体的な子どもの成長の姿として文章表記した「到達目標」のようなもの

区別しやすいように評価規準の方は“のりじゅん”、評価基準は“もとじゅん”と呼ばれていました。

絶対評価と相対評価

最近の学校教育は絶対評価で、と言われていますので、極端なことを言えば生徒自身が納得いく作品になっているなら気持ちとしては全部100点でもいいんですよ。

そうは言っても実際には“平均点の目安”というのが決められている場合が多く、ある程度は相対評価的にそこに合わせていく必要があったんですよね。

絶対評価
個人の能力について、あらかじめ定められた評価基準に則って評価する方法。同じ集団に属する他者の能力に左右されないので、たとえば全員「5」や全員「1」にもなりえます。一方で、評価者によって左右されやすいとも言えます。

相対評価
集団のなかで周りと比較しながら評価していく方法。集団内での個人と他者を一定の基準にもとづいて比較評価することで、最終的な評価を決めていく。たとえば「5」は3人「4」は5人など枠が決まっているので、同じ集団に属する他者の能力に大きく左右されることがあります。

評価ポイント(規準)を生徒に伝えることが大事

「その上下を好みで決めている!」と思われないためにも、課題を設定する時点で、評価のポイントを明確に伝えるようにしています。規準ですね。

「どんな色にも、役に立つ場面があるよ」「どんな形にも、魅力があるよ」と言えば聞こえはいいのですが、それを言っていては評価は出来ないのです。

評価時によくある誤解

着彩画
規準は「水をたっぷり使って、光の方向を意識して描く方法を知る」

という課題と

平塗りデザイン画
規準は「水を適量にして、面相筆で縁取りして描く方法を知る」

という課題があったとします。

仮に同じ作品を提出するとして、どちらの評価ポイントを使うか(どちらの課題として与えたものなのか)で点数が変わります。

たとえばどれだけ「美しく平塗り」されていても、「評価ポイントが①の着彩画」であれば、「点数は低く」なります。

今回は前者の、「着彩画のスキルを評価するための題材」だからです。

これを教師側が伝えずに、単に「今日はにんじんを描きましょう」と言って課題を与えてしまうことがあれば、あるいは生徒が理解しないまま描いてしまうことがあれば、そりゃ好みで決めてると思われるだろうなぁ…と思います。

そして残念ながら、これがとても多いです。

口下手というか説明不足な先生
多いように思いますね…。
そういう意味ではこれが、
美術の先生あるあるなのも

頷けるかもしれません…。

技法的なところ以外にも、たとえば描くテーマが「想像する不思議で自由な世界」なのか「あなたの周りに実際にある風景」なのかで、評価も変わりますよね。

公平に評価されなかった、というトラウマが原因?

なぜ「美術の先生は好みで成績を決めている」と言われるのかというと、「いい感じに描けたのに点数が低かった」「あの子の方が下手なのに点数が高かった」などの納得感のなさトラウマ抱えている人が多いからだと思うんです。

保護者の方や他教科の先生など、周囲の大人がトラウマを抱えていることも多いようです。

周囲の大人が抱えたトラウマを受けてきたんだなぁ、と予想できる新入生も多かったです。

認めてもらえなかったという経験を
子どもにも押し付けちゃうというか…

「ママから絵心ない芸人と同じって言われた」だからわたし美術は嫌いです。

「小学校の先生から少女漫画っぽい絵を馬鹿にされた」だからわたし美術は嫌いです。

こんなことを新入生が…言うんですよ…!!

大人たち…!!!
余計なことを…もうっ……!!

と思ってしまう一方で…

でもきっと大人たちも、
辛かったんだよね…

って思ってしまって、毎年、春は辛かったです…。

たとえるなら「跳び箱のテストで走り幅跳びをしたら、どれだけいい記録でも成績は低くなるよね」という話なのですが、これがどうやら美術・芸術分野となるとしっくりこない人が多いってことです。

そしてまた、「今回は跳び箱のテストだよ」と伝えずに自由に運動させておきながら跳び箱以外の運動をした生徒の評価を下げるような、コミュニケーション不足な先生も多いようですね…。

②美術の先生は、自分の好きなものしか認めない

融通が効かない変な人?

平易なものを選ばず、感覚を鋭く、自分の美意識を高く持って指導している…。

そんな先生ほど生徒とも周囲の大人とも意見がぶつかりやすいことで、「ちょっと変な人」みたいなレッテルを貼られるのだと推測できます。

美術の先生って、非常勤講師などで1校に1人って言う場合も多いので、同じ教科の教師同士で意見を共有したり切磋琢磨したりという機会が極端に少ないんですよね。

性格が多少とんがっていても改善する機会もないというか、「美術の先生ってこういうものなんだな」と放っとかれてしまう傾向にあるのだと思います。

作家性が高すぎる

非常勤講師と作家活動を並行している先生も多いと思うので、ある意味では自分の美意識を高く持っていてしかるべきっていうところもあると言えます。

でも、たとえば抽象画を自分の作家活動としていながら、生徒には写実キャラクターデザインを指導するだなんて、切り替えがものすごく大変なのは確かなんですよね。

自分が嫌いだったり苦手だったりする分野でも、応援したり手助けしたりする必要があるのです。

先生としては生徒の可能性を最大限に広げる。

作家としては自分の美意識を最大限に高める。

これが理想の形だと思います。美意識の使い分けのうまさっていう感じですかね。

作家としての美意識が高すぎると
先生としては「柔軟性に欠ける
変な人」と言われやすいのかも

③美術の先生は、勉強ができない

「勉強できないから美大を選んだ」と思われてる?

受験勉強したことないでしょ?」とか「勉強できないから仕方なく美大に行ったんですよね?」とか…すごくよく言われました。

絵ばっかり描いて、物ばっかり作って…というのは、遊んでいるように見えるようです。

知識技術観察があってこそ生まれる作品も多くありますし、教養がある先生も多いんですけどね。

わたし自身は志望校にセンター試験(現在でいう共通テスト)が必要だったのでそれなりに座学の勉強をしてきているのですが、それを知る前と知った後とで露骨に態度が変わる保護者の方もいました…苦笑

勉強が嫌いだから美術に逃げた
ように感じるみたい…

漢字間違い・書き順間違いへのプレッシャー

日誌へのコメントや板書で漢字間違いをしないように、少しでも迷う場合は必ず調べていました。

もちろん他の教科の先生が間違うことだってあると思うんですけど、「ほら、やっぱり美術の先生は馬鹿だから」と言われるのが怖くて、プレッシャーになっていましたね…。

中学校は義務教育ということもありますし、板書における漢字の書き順にも気を配っていました。

美術史の授業前はしっかり勉強

美術史も歴史なので、ある程度の時代の流れを把握していないと生徒に説明できないのです。

わたしは元々美術史…というか歴史分野については明るくなかったので、授業をするための下調べがものすごく大変でした。

書籍や研究者によって発掘された年が違ったり、台座を入れる入れないで作品のサイズ表記が違ったり。
これが本当に意外と違うんですよ…!

免責事項と言うわけではないのですが、「この作家さんに会ったことがある人はもう誰も生きてないけど、今のところ研究されている中ではこういう人だったと言われてるよ」とか「この作品の高さは本によって違っていて、どこまでが作品かという捉え方が研究者によって違うよ」ということは欠かさず伝えていました。

本で勉強する場合には、なるべく複数の本から情報を得るようにしていました。

美術の先生も、
頑張って勉強してます!

おわりに

今回は世間の持つ《美術の先生あるある》について、どうしてこんな見え方になるんだろう?という理由についてわたしなりに考えてみました。

もしかしたら、美術の先生に傷つくことを言われた経験を持つ人もいるかもしれません。

「美術の先生はどうせ…」という固定観念で見たくなりますよね。

でも、真剣に成績をつけている先生や、知識も豊富な美術の先生もたくさんいらっしゃいます。

「いろんな人がいる」のは
何も美術の先生だけに
限った話ではない
ですよね

あなたの身近にいる美術の先生は、思い出す美術の先生は、どんな先生でしょうか。

美術の先生について知りたい方にとって、この記事が少しでも参考になると嬉しいです。

美術の成績・採点について知りたい人向け

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