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《美術の先生像》と、美術の先生の苦悩

美術の先生像好みで成績をつけている変わり者考察・気持ち

こんにちは。元美術教師のうさぎ先生です。

前回の記事で書いた、《美術の先生像》について。

こういった見方をされている場面の多さに気づいたうさぎ先生は、本当に好きなもの、可愛いと思うもの、面白いと思うものについて、”学校”という場で表現できないと思ってしまいました・・・。

そこで今回はあらためて、巷で言われる《美術の先生像》について考えていきます。

前提として、うさぎ先生は私立中学校の先生なので、公立校の仕組みと異なる部分があると思います。
そして私立校の中でも評価方法は多岐に渡るので、
あくまでもうさぎ先生の場合は、ということでご理解ください。
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①美術の先生は、自分の好みで成績を決めている。

これはもう、言われることがものすごーく多いです。ノリでぱぱっとつけてるんでしょ?的な。

いやいや・・・

こっちがどれだけ考えて気を使って採点してると思ってるんだー!!!
(ノ`Д´)ノ

と・・・
ちゃぶ台をひっくり返したい思いです。

作品に点数をつけることは本当に難しく、実際には何時間も作品と規準と基準とにらめっこして採点しています。

評価基準と評価規準

美大時代に受けた評価基準・評価規準についての講義は特に印象に残っています。
受講生みんなで評価規準を聞いて作品を作って、それを評価基準に合わせて採点する、という講義でした。
わかりやすいように、評価規準の方は“のりじゅん”と呼ばれていました。

■評価基準
・・・評価規準の習得状況の程度を明示するための指標を、数値や記号、または文章表記したもの。「ステップ分け」といったところでしょうか。

■評価規準
・・・子どもに身につけさせたい力を、より具体的な子どもの成長の姿として文章表記したもの。「到達目標」といったところでしょうか。

絶対評価と相対評価

最近の学校教育は絶対評価で、と言われていますので、極端なことを言えば生徒自身が納得いく作品になっているなら気持ちとしては全部100点でもいいんですよ。

でもうさぎ先生の勤務校では“平均点の目安”というのが決められていたので、ある程度は相対評価的にそこに合わせていく必要があったんですよね。

■絶対評価
・・・個人の能力について、あらかじめ定められた評価基準に則って評価する方法。同じ集団に属する他者の能力に左右されないので、たとえば全員「5」や全員「1」にもなりえます。一方で、評価者によって左右されるとも言えます。

■相対評価
・・・集団のなかで周りと比較しながら評価していく方法。集団内での個人と他者を一定の基準にもとづいて比較評価することで、最終的な評価を決めていく。たとえば「5」は3人「4」は5人など枠が決まってるので、同じ集団に属する他者の能力に大きく左右されることがあります。

いずれにせよ「その上下を好みで決めている!」と思われがちなのは同じですが・・・。

そもそも、課題を設定する時点から始まっている

「その上下を好みで決めている!」と思われないためにも、課題を設定する時点で、評価のポイントを明確に伝えるようにしています。

「どんな色にも、役に立つ場面があるよ」「どんな形にも、魅力があるよ」と言えば聞こえはいいのですが、それを言っていては評価できません。

「今回は、着彩画。水をたっぷり使って、光の方向を意識して描く方法を知りましょう。」

というときと

「今回は、平塗りデザイン画。水を適量にして、面相筆で縁取りして描く方法を知りましょう。」

というときがあったとします。

同じ作品でも・・・
どちらの評価ポイントを使うかで点数が変わります。“のりじゅん”ですね。

たとえばどれだけ「美しく平塗り」されていても、「評価ポイントが前者だと説明された題材」であれば、「点数は低く」なります。
今回は「前者の、水彩画のスキルを評価するための題材」だからです。

これを教師側が伝えずに、単に「今日はにんじんを描きましょう」と言って課題を与えてしまうことがあれば、あるいは生徒が理解しないまま描いてしまうことがあれば、そりゃ好みで決めてると思われるだろうなぁ・・・と思います。残念ながら、これがめっちゃ多いです。

技法的なところ以外にも、たとえば描くテーマが「想像する不思議で自由な世界」なのか「あなたの周りに実際にある風景」なのかで、評価も変わりますよね。

保護者の方や他教科の先生などの周囲の大人が、この体験をしていて、トラウマを抱えていることも多いようです。「いい感じに描けたのに点数が低かった」「あの子の方が下手なのに点数が高かった」などなど。

トラウマを抱えて入学してくる中学1年生

周囲の大人が抱えたトラウマを受けてきたんだなぁ、と予想できる中1も多かったです。

「ママに絵心ない芸人と同じって言われた」、だからわたし美術は嫌いです。
「小学校の先生に、少女漫画っぽい絵を馬鹿にされた」、だからわたし美術は嫌いです。

と言うんですよ・・・。・゚゚・(> x <)・゚゚・。 

大人たち・・・!!!
余計なことを・・・
もうっ・・・・!!!!!

と思ってしまう一方で・・・

でも大人たちも・・・
辛かったんだよね・・・ 
。・゚゚・(> x <)・゚゚・。

って思ってしまって、毎年、春は辛かったです・・・。

小学校の先生は専科がない場合も多いので、オールマイティにやらねばで本当に大変なんだと思うのですが、どうか課題設定の時点でもう少しだけ説明を足してもらえたら・・・この不和が少しは解消されるんじゃないかなぁ・・・。

誤解を生まないためにうさぎ先生がしていた工夫

見るのも美術

そもそも・・・描いたり作ったりするだけが美術ではないんですよね。
見ること、観察すること、鑑賞すること。

知識技術だけではなく、こうして感性を育てることも、大切な美術の要素の1つです。

「描くのは嫌いだけど、美術館に行くのは好き」なんて《美術が好きな生徒》がいたって、いいのです。

「上手」「下手」はなるべく使わないように

「上手」は・・・
「この塗り方、好きなんだね」
「水の量、ばっちり適量だね」

「下手」は・・・
「この塗り方、あんまり好きじゃない?」
「もうちょっと水足すと、塗りやすいよ」

という具合に、意識して言い換えしていました。今回求めている技法にマッチしていないだけで、別に下手じゃないですから。

未完成じゃなければ、最低限○点はある

「完成させた作品に低い点数をつけることはない。でも、完成させずに放棄したり、評価ポイントを無視した作品であれば、◯点を下回る可能性がある。」
これを明言していました。
本人が「完成した!」と言えば、それは完成作品なんです。

低い点をつけることは生徒を否定しているわけじゃないんですが、それでも生徒は否定されたと捉えますから・・・赤点とか欠点とかいう形で完成を否定する形にはしたくないと思います。

はみ出したのは、水がこぼれたのは、粘土がくっつかないのは、“事故”。

机の上の配置をちょっと変えたり、水の量をちょっと変えたり、乾かすタイミングをちょっと変えたり・・・。それだけで防げる。

防げるものは事故だ!

事故だから、あなたは悪くない

だけど防げるから、具体的に◯◯をして、防ごう!

と、話していました。先生だって、事故は起こしますから。
だけどあんまり事故が起きないのは、防ぐ方法を知っていて、それを面倒くさがらずに実行しているから。ただそれだけの違い♪ってよく伝えていました。

「どの色がいいですか?」には、複数の選択肢で答える

「この絵に何色塗ったらいいですか?」
この質問はとっても多かったです。

うさぎ先生の学校では混色事典という副教材を採用していたので、一緒に見ながら、なるべく複数の選択肢で答えるようにしていました。

「さわやかな感じにしたいならこの色、かわいい感じにしたいならこの色を、わたしなら選ぶかなぁ。あなたは、どんな雰囲気に仕上げたいの?」という会話が大事ですね。

先生の好みの色なら点数上がるとか、先生が言ったようにしたのにとか言われても困るし・・・。なにより、生徒自身の作品ですから。
どんな雰囲気にしたいかわからない、という生徒とは、さらに教科書や資料集を見て、好きな雰囲気を一緒に探るように心がけていました。

余談ですが女子校のいいところは、女子=ピンクっていう意識がないことですね。
共学校だとどうしても区別のために男子は水色、女子はピンクとか、使い分けがあると思うんです。

「水色を選ぶ女子もいるし、黄色を選ぶ女子もいる」という状況が当たり前にあったことは、美術教師として過ごしやすかったです。

好きなものをあえて言わないという工夫

この工夫がうさぎ先生自身を苦しめることにはなるのですが・・・。

好きな作家とか好きな画風とかあんまり言うと、「好みじゃないから点数下げられた」と思われてしまうパターンに入ってしまうと思って以来・・・常に生徒の「あなたの好きなもの」に寄り添って指導していました。

《自分なら選ばないと思うものにも、美しさがある。これを好きな人もいる。》

この考えにより指導しやすくなった反面、わたし自身が見えなくなっていきました。

「どんな色にも、役に立つ場面があるよ」
「どんな形にも、魅力があるよ」

そうなんだけど・・・
だけど・・・・・・

平易なものを選びがちになっていった(気がする)というか、感覚が鈍っていった(気がする)というか、作家性を失っていったというか・・・。

②美術の先生は、自分の好きなものしか認めない。融通がきかない。

これはあくまでも憶測ですが・・・平易なものを選ばず、感覚を鋭く、自分の美意識を高く持って指導している先生は、生徒とも周囲の大人ともぶつかりやすいんじゃないかな・・・。

そして《美術の先生は、自分の好みで成績を決めている》という美術の先生像につながるのだと考えています。

美術の先生って、非常勤講師で1校に1人って言う場合も多いので、教師同士で意見を共有したり切磋琢磨したりという機会が少ないんですよね。
そこで多少とんがっていても、ほっとかれちゃうというか。美術の先生ってこういうものなんだな、と。
(もちろん、1人でも、他教科の先生と協力して授業をしている先生も多いとは思うのですが・・・!)

望んでいて非常勤講師をしていて、作家活動を並行している先生も多いと思うので、自分の美意識を高く持っていてしかるべきっていうところもあるんですよね・・・

先生としては生徒の可能性を最大限に広げる。

作家としては自分の美意識を最大限に高める。

これが理想の形だと思います。

③美術の先生は、勉強ができない。頭が悪い。

遊んでいると思われてる?

これも結構、言われるんですよね・・・
「受験勉強したことないでしょ?」とか「美術の先生に聞いても仕方ないですよね」とか。
絵ばっかり描いて、物ばっかり作って、遊んでいるように見えるようです。

一般的に使われるタイプのものかどうかはさておき知識技術観察があってこその作品であったりするのですが・・・。

わたし自身は志望校にセンター試験が必要でそれなりに勉強してきているのですが、それを知る前と知った後とで露骨に態度が変わる保護者の方もいました・・・まぁ分かるけど・・・(> x <)
別に美術に限らず、人によって知識の偏りはあるし・・・ねぇ・・・。

漢字間違いが怖い

気をつけていたのは、板書における漢字の書き順です。
もちろん、漢字間違いもしないように。少しでも迷う場合は即調べていました。

他の教科の先生が間違うことだってあると思うんですけど・・・「ほら、やっぱり」と言われるのが怖くて、プレッシャーになっていました。
馬鹿じゃないぞ、と(^ x ^;)

美術史の授業前はとっても大変

美術史の授業をするためには下調べがものすごく大変で、もう、本当に大変でした・・・。

書籍によって研究者によって、発掘された年が違ったり、台座を入れる入れないで作品の大きさが違ったり・・・これが意外と違うんですよね・・・。
あとは戦争のタイミングがとかメディチ家がとか、美術史も歴史なので、知っていないと生徒に説明できないのです。

免責事項と言うわけではないのですが・・・
「この作家さんに会ったことがある人はもう誰も生きてないけど、今のところ研究されている中ではこういう人だったと言われてるよ」とか「この作品の高さは本によって違っていて、どこまでが作品かという捉え方が研究者によって違うよ」ということは欠かさず伝えていました。

おわりに・・・どうしたらよかったんだろう

辞めることが決まっている今でも「うさぎ先生が美術の先生を続けるにはどうしたらよかったんだろう?」と思うことが度々あります。

しかし、こうして改めて考えを整理してみると、一旦学校から距離をとったほうがいいなって思います。
「教師は聖職」と言われるのを意識し過ぎたのかもしれませんし、美術の先生像から逃れたい気持ちが強過ぎたのかもしれません。

「好き」「美しい」「楽しい」「面白い」と思うことそのものができなくなってしまう前でよかったのかなって。

こうして一個人として気持ちや考えを表現できる場所を作ることができたので、いろいろ表に出していきたいですし、現役の先生や先生を目指す人にとって何か役立ててもらえることを紹介出来ればいいなぁと思っています。

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