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「自分自身の感動」を大事に!中高生の美術史授業でもっとも大切にしたい視点

中学校美術史の授業鑑賞領域ポイントペーパーテスト 学校の先生
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こんにちは。
元美術教師のうさぎ先生です。

前提として、わたし自身は美術教師界の中で比較すると《美術史に詳しい方ではない人》だと思っています。出身中高では美術のペーパーテストが存在せず、歴史の授業で出てくる作品や作家の名前をうっすらと知っている程度で、美大に入るまでほとんど美術史には触れずに生きてきました。

今回は、そんなわたしの詳しくない人の目線ならではの過去の経験を織り交ぜながら、中高生に向けた美術史の授業においてもっとも大切にしたい視点について解説します。
主に鑑賞領域の話になりますが、表現領域で描画法について扱う場合にも関係する話です。

これから書く内容は美術史に詳しい人美術史が好きな人にとっては、もしかしたら的外れに思える考え方かもしれません。しかし、そんな人にこそ読んでいただきたいのです。

なぜなら教える対象である中高生のほとんどは、美術史に詳しい方ではない人や、美術史にまったく詳しくない人だからです。

感動を得る前に、印象を押し付けられた過去

ただ知らないだけ

まず単純に、美術史に詳しくない人には知識が不足しています。いつどこで描かれたのか、なぜその作家が評価されているのか、なぜそのモチーフに意味づけがされているのか……

ただ単に“知らない”のです。

そのこと自体は大した問題ではないと思いますし、知識を得る年齢には個人差があって当然です。

それに、たとえ知識がなくても「きれいだな」「面白いな」「なんでこの絵を描いたんだろう」といういわば感動体験は、あっていいと思うのです。

「なんかすごいらしい」

しかしながら……
これは日本特有の空気・環境なのでしょうか。

自分自身から「素敵だな」「好きだな」という気持ちが生まれる感動体験の前に、作家の名前に引っ張られて「ピカソだからすごい(らしい)」「モネだからこれはいい作品(らしい)」という世間から押し付けられた印象を先に得てしまうのです。

「あの有名な人の展覧会ですよ!必見!」というCMもよく見かけますよね。
わたしも中学生の頃は「なんかすごいらしいから見ようかな」という気持ちで美術館に行き、「なんか有名だからすごかった」という陳腐な感想を得て帰宅したことがありました。
今思えば「有名だから見なきゃいけないって、なんなんだ……」と感じますが、当時は「なんかすごいらしい」がとにかく強力なパワーを持っていたんですよね。

この「なんかすごいらしい」は知識ともまた違うし、自分で得た感動でもありません。先入観という言葉が違いでしょうか。
美術館では「みどころ解説」的なものもよく見かけます。それを読んでなんとなく知った気になってしまっていましたが、そこにはわくわくドキドキや楽しさはなかったように思います。

せっかくの多感な時期なのに、どの作品を見ても「よく分からないけれど美術は高尚なものだからなんかすごいらしい」「好きじゃなくてもすごいらしいから称賛しなければならない」と思ってしまう・思い込んでしまう場合がとても多かったのです。

やがて高校生になると「世界史の授業でも出てくるからミケランジェロはすごい」「風神雷神図屏風はなんか有名だからテストに出る」と、なんとなく知識を得ていきます。ここでも「すごいから教科書に載ってる」ぐらいの感覚でした。

でも、美術は好きなはずなのに用語が覚えられないっていうことが辛かった記憶があります。
感動が伴わない詰め込んで覚えている知識なので定着しなくて当然って、今なら思いますね……。

美術史に興味がある・詳しい状態の先生方はきっと過去に、感動を伴う知識を得てきたことと思います。だから興味を持って、美術史について多くの知識を蓄積してくることが可能だったわけです。

先入観と感動と知識とのバランス

美大に入学して、日本美術史、東洋美術史、西洋美術史、工芸史……と、美術史の授業をたくさん受けました。

しかし世間から押し付けられた印象・先入観がどうしても邪魔をしてしまい、「この作品素敵だな」と素直に思う気持ち・感動と「歴史的に重要・転機となった」という知識・事実とをうまく整理することができませんでした。

特に、「別に好きじゃない」という場合が難しかったです。「世間では称賛されているすごい作品なんだからすごい」という、押し付けられた印象が邪魔をするからです。
「すごい作品を好きじゃないと思うわたしが、間違っているのかな?」とさえ思ってしまいました。

それでも、幸いたくさんの作品に囲まれ、自身も作品をつくるという環境の中で、少しずつ気持ち・感動知識・事実を分けて考えることが出来るようになっていきました。

有名=好き、ではない

わたしの専攻は漆工です。ある日美術館で、音丸耕堂さんという《彫漆》で人間国宝になった作家を知り、強く惹かれました。しかし世間で漆と言うと、圧倒的に《螺鈿》や《蒔絵》のほうが有名なのです。

「好きなものがマイナーだった」という表現が、伝わりやすいでしょうか。「有名じゃない分野にも、自分が好きなものがある」でもいいかもしれません。

この経験で、好きな作品がたまたま歴史上有名な場合もあるし、有名とされる作品に心が揺さぶられない場合もある。それでいいのだと実感することができました。

そうは言ってもこの頃にはまだ、中高生の頃の自分に対しての違和感や疑問はありませんでした。
気づいたきっかけは、教員採用試験の勉強です。

教員採用試験の勉強中に気づいた違和感

美術の筆記テストの作り方

わたしの出身中学校には美術の筆記テストが存在せず、高校に至っては芸術科目は音楽のみで、美術は選択科目ですらありませんでした。
美術の教員採用試験に向けた勉強をする中で、筆記テストがある学校がむしろ多いらしいということを初めて知ったほどです。

ある日書店で「美術の筆記テストの作り方」というような本を、何気なくぱらぱらっと読み……
ある設問に大きな衝撃を受けました。

次の写真を見て、どういう印象か答えよ。
■写真は白黒印刷で、尾形光琳の燕子花図屏風
■印象は、4つの選択肢

わたしはこれに、大変驚きました。

印象が選択肢?

まず思ったことは「白黒じゃ分からないでしょ!」です。実際は金箔の背景に群青と緑青の顔料で燕子花が描かれていますが、その図版からはまったく伝わりません。

でもその後すぐに「あ、授業であらかじめ解説を受けてるから、カラーの図版は既に見てるってこと?」とも思いました。授業のおさらいとしての復習テストなんだな、ということです。

しかしまたすぐに「いや、そうだとしても、印象が4つの選択肢ってどういうこと?印象や感想って自分で持つものじゃないの?」と思い……
ここで、はっと気づかされたのです。

印象や感想は自分で持つもの、なのです。

せっかくの多感な時期なのに、どの作品を見ても「よく分からないけれど美術は高尚なものだからなんかすごいらしい」「好きじゃなくても称賛しなければならない」と思い込んでしまっていた自身の思春期。

このときようやく、振り返ることができました。

授業の際に気をつけるべきことは

最も大切な視点

教職経験を経た今思えば、ペーパーテストに記述を入れると採点に時間がかかるから、あの設問は選択肢だったのかもしれません。

しかし事実であろう時代背景や作家名を選ぶこととは違い、印象を選ぶことに対して覚えた違和感は、今も間違っていなかったと思います。

■自分が作品を素敵だなと思う気持ち
■世間での評価
■歴史的ターニングポイントかどうか

これらは、それぞれ別のものである

これが、中高生への美術史にまつわる授業展開において、わたしが最も大切だと思う視点です。

具体的にはこのような声かけを積極的におこないました。

具体的な声かけの内容

「歴史的にすごい!素敵!」っていうのも、「なんかよく分からないけど好き!家に飾りたい!」っていうのも、両方とも大切な気持ちだよ!

博学な子も直感的な子も、両方が傷つくことがないような声かけをします。

「素敵だな」と思う時に、そこには歴史的背景に関する知識が絡む場合もあっていいし、何の予備知識もなく直感的に得る場合もあっていい。
好きな作品がたまたま歴史上有名な場合もあるし、有名とされる作品に心が揺さぶられない場合もあるということを伝えます。

誰かが好きな作品を、自分は好きになれない場合もある。自分が好きな作品を、隣の席の子は好きじゃない場合もあるよ。ほら、キティちゃん派とディズニー派がいるみたいな感じ!

これは女子校ならではかもしれませんが、力のある生徒が「これが好き!」と言うと、右に倣えになってしまう雰囲気が発生する場合があります。

でも、全員持っている筆箱はバラバラだし、好きなキャラクターも違う。
そういった身近な例を挙げることで、「このクラス全員がマイメロ大好き……じゃないでしょ?全員マイメロのシャーペン持ってたら怖くない?」「たしかにー!バラバラだよね!」と、生徒たちからリアクションが返ってくるように演出します。

他人と違うものを好きだと発言してもよい、という雰囲気を作るのです。

今日のあなたは、どれがお気に入り?

作家を紹介する時には、なるべく複数の作品を紹介するようにしていました。

「ピカソといえばへんてこな絵」「ムンクといえば叫んでる」みたいな先入観を拭ってあげたかったのです。教科書にはどうしても図版掲載量の限界があったので、書籍やスライドを使って複数の作品を紹介するように心がけていました。

そして、「今日のあなたは、どれがお気に入り?」という投げかけをするのです。これは「どれが上手?」ではないので、気をつけてくださいね。

それはいわゆる有名な作品でもいいし、そうでなくてもいい。それに今好きな作品と、明日好きになる作品は違っていてもいいのです。

アクティブラーニング的考え方で、「1分間でお気に入りの作品をプレゼンしましょう」を周囲の人と3セット、なんてことも可能です。

知識を身につけやすくなるように

鑑賞領域だけでなく、表現領域で美術史に触れる場合もあるでしょう。作品づくりにおいては知識があるからこそ思考が自由になる場合もあるのです。このことについては、こちらの記事でも触れています。

ペーパーテストがある学校だと、結果的には知識を身につけさせる必要も出てきます。わたしの元勤務校でも、コースによって単位数が違ったため、作問の必要がありました。

わけもわからず呪文を唱えるかのように用語を覚えるいわゆる詰め込み型は、とても苦しいです。
こうして自分自身の感動を得てからの方が知識を身につけやすいですし、詰め込み型授業に比べると授業自体のことをそれなりに記憶しているので「あーなんかあの授業のときの……」と思い出しやすいようでした。
理科の授業で実験を重視する感じと似ているかもしれません。

他にはアート作品と企業のコラボを紹介したり、『びじゅチューン!』を鑑賞したりもしました。

おわりに

こうして振り返ると在職中の私は、美術を高尚な遠いものだと思ってほしくないという気持ちと過去の自分が得られなかった感動体験を生徒には味わってほしいという気持ちが相当強かったようです。
そうは言っても「感動しろ!味わえ!」という押し付けになってしまうのは違うので、注意が必要ですけれどね。

当時と今とでは、学校を取り巻く環境も学習指導要領も大幅に変わっています。
しかし思春期にこのような体験をしている生徒・させてしまっている先生が、今も存在するように思います。

「自由に好き/嫌いになっていい」という考え方は、美術史に限らず生徒作品の相互鑑賞においても、ひいては学級運営にも役立つものです。
わたしの経験が、現役の先生や先生を目指す人の参考になれば嬉しいです。

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