
こんにちは。
元美術教師のうさぎ先生です。
ニュース記事とは少し違うのですが、ある日見かけた、アンケート記事というのでしょうか。気になる話題がありましたので、考えていこうと思います。
ある日見かけた、この記事
はい、嫌な予感がしますね(^ x ^;)
■第1位:美術(20.7%)
多くの科目を抑えての1位は美術。絵画や工作などを学ぶが、一般社会でその知識や技術を使うことはほとんどない。そのようなことが、1位になった理由かも。もちろん、覚えておけば役に立つ場面もあるのだが。
https://sirabee.com/2020/05/09/20162300201/
ちなみに、2位は理科、3位は数学だそうです。
もうこの手の話は、見慣れたと言えば見慣れたのですが……。
この記事↓にも書きましたが
私が思い描き実行していた《美術の先生像》《美術の授業像》っていうのが、世間の認識と違いすぎているんですよね……。
うさぎ先生が教壇を離れて、約2ヶ月。
今回は改めて、美術の授業の目的について考えてみたいと思います。
「大好き」にさせるための授業?
ある採用試験にて
講師採用の場で、わたしは面接担当の一人でした。
そこで……一度ではなく複数回。
面接や履歴書で、こんな言葉を目にすることがあったのです。
いや……
うん……
わたしからしたら、これはおしつけです。
好きな子に告白して、振られて、それでも振り向かせたい……なんとか好きって言わせたい……みたいな感じでしょうか。

まぁ……健気と言えば
健気なのかもしれませんが……?
美術の授業の役立つところ
美術分野のいいところって、その子の人生に合わせて役立て方を変えられるところだと思うんですよね。
別に大好きじゃなくたって、役立ちます。
たとえば、ファッション。
《似てる色》が何なのかわからない……知らず知らず《補色》になっていて虫みたいな組み合わせに……
それはセンスがどうとか、才能がどうとかいうより、知識です。
企業の制服や看板の色だって、意味や意図があって選ばれている。そう思うと身近な話ですよね。
部活の衣装作りに役立った!という声もありました。
たとえば、文章やグラフ。
総合学習でグラフなんか作っても……プラスとマイナスでどう色を変えるか?とか、似てる色にしちゃうと効果が伝わりづらい、とか。
最近勉強のためにもいろいろなブログを読ませてもらっているのですが、正直……白背景に黄色い文字だったりすると……ほら。
読めないんですよね(> x <)

え?読もうと思えば読めるって?
でも……読ませる気がない、
と思わせちゃうよね。
これも知識です。
プロ養成所じゃない
別に、その授業を通して、画家にさせたいわけではないんですよ。他の教科だって同じだと思います。
全員が数学者になるわけでもないし、全員が日本語研究者になるわけでもありません。
でも、画家にならなくても、陶芸家にならなくても知ってると便利な知識があるんです。
化学者にならなくても、酸性とアルカリ性ぐらい知ってると、掃除の時に便利だったりしますよね。
好きじゃなきゃ……ダメ?
これは純粋な疑問ですが、《大好きにさせたい先生》は、全員を画家にさせたいのでしょうか……?
わたしにはどうしても、《美術を嫌いだと言う子》の気持ちを、これまでの人生経験を、否定している感じがしてならないのです。嫌いじゃダメなのか、と。
そりゃ好きになってくれればいいですけれど、興味が湧くぐらいが、現実的だと思います。
「絵の具めっちゃ嫌い!」って言ってた子が、混色の仕組みを知って興味が湧いて、「なんか好きな色できた!」って言っていたら。
わたしはもう……
よっしゃー!って心の中で叫びますよ。
その子は、美術が好きかと問われたら、きっと嫌いだと答えるでしょうけどね。好きか嫌いかの二者択一じゃなきゃダメ、好きにさせなきゃダメ、なんて……。
好きになることを押し付けられてしまっては、美術は役立て方を変えられる柔軟な授業だなんて受け止められなくて、「どうせ役に立たないのに」という発想にさせてしまうんじゃないのかなぁ。
テクニックがあることで思考が自由になる
思い通りになった方が嬉しい
以前、技術書の記事でも書いたのですが
思い通りになった方が、嬉しいんです。
絵の具をきっちり塗れることが正しいとか、ボンドをつけすぎないことが正しいとか、正解間違いというよりは……「なんか思う通りになった!」という経験を積ませてあげたいと思って指導していました。
いわゆる成功体験ってやつですね。
テクニックがあることで思考が自由になる部分があるのは事実だと思うのです。
ここのバランスが難しくて、前述のように、プロ養成所ではないので……。
あまり高いハードルの技術を求め過ぎてしまうと、思う通り、にしてあげられないんですよね。
うさぎ先生は図工の授業が嫌いでした
小学生の頃、図工の授業は嫌いでした。
絵を描くのは好きだったのですが……図工の先生が、とも言えるかもしれません……。
わたしの図工の先生は(わたしの記憶の中では)、なんというか……
っていうタイプの先生だったんです。あんまり技術を教わった覚えがなくて。
で、楽しければいいのかーと思って、描いたり作ったりして、思い通りにいったりいかなかったりして、でも教えてくれないんですよ。
で、成績が悪かったんですよ。
小学生だったわたしとしては、「悪い成績をつけるぐらいなら、アドバイスしてくれたらいいのに……」と大変疑問でした。
先生としては何か意味があってのことだった……のかもしれませんが、腑に落ちないですよね。
中学校で言われた、衝撃的な話
中学校に入って、新しい先生と出会いました。
そこで出会った美術のO先生の話に、わたしは衝撃を受けます。
「どんな作品にしたいか、私に教えてください。私はあなたたちではないので、どんな色が好きか、どんな形が好きか、分かりません。こうしたいって教えてくれたら、いろいろアドバイスできるよ。」
ん、なんだか小学校の時と違うぞ……と思い、いろいろ尋ねると、いろいろアドバイスをくれました。
できると、楽しいんですよ。
テクニックがあることで思考が自由になるという経験を、ここで積み上げていきます。
わたしは美術教師界の中では手先が器用ではない方だと思うのですが、だからこそ技術を修得する喜びを味わうことができたことは大きかったです。
このO先生が、のちに、教育実習時にも衝撃のアドバイスをくれることになります。
O先生と出会っていなければ……美術の先生がどうあるべきかという考え方が、そもそも違っていたかもしれません。
おわりに
役に立つって何なんだろう
こうして書いていると……
改めて、《役に立つ》って何なんだろうなぁ?
と考えます。
今、COVID-19の影響で学習の遅れの話がいろいろ出ていますが、学校である必要性や学校そのものがどう役に立っているのか?というところも気になっています。
学習だけのことを考えたら、塾でいいんですよ。
そこにクラスや部活というコミュニティや、行事があることで、どう《役に立つ》んでしょうか。
わたしは義務教育って《選択肢を広げる時期》だと思っているので、「この教科は好きじゃない」「この行事は面白くなかった」……だから将来の道として選ばない。
これだって、十分、役に立っていると思ってしまうのです。
選ばないという選択
たとえば、習い事をやめたくなったとして。
「ピアノと水泳の両立は大変。だから、ピアノをやめます。」
じゃあピアノは役に立たなかったのかというと、それは違いますよね。
どっちやめようって考えて、水泳のほうが好きって気付くきっかけに、役立ちましたよね。
「ゴッホの絵みたけど、よくわからないし、ラッセンのイルカが好き」とおっしゃる芸人さんがいましたが、ラッセンの方が好きって気付くきっかけに、ゴッホを知ることは役に立ったわけです。

こういう考え方は……
甘すぎるでしょうか?
もちろん教師は、よりよく役に立つ授業を考えていくべきだとは思います。だからこそ……あれだけの残業をしていたわけです。
その一方で受け手は、役に立たないと切り捨てるばかりではなく自分には必要ないと気付くために役立ったと思えたら……ちょっと気持ちが楽かな?と考えるのです。
そういう意味では言えば、役に立たなかった授業を問うというアンケートそのものが、ナンセンスな気がしてきますね。
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