こんにちは。
元美術教師のうさぎ先生です。
保護者とのトラブルに際して時折耳にするのが「子どもを産んだことがないくせに」「子どもがいない担任はハズレだ」という言葉です。
おもに20代や新卒の教員経験が浅い先生に向けられることが多い言葉ですが、独身だったりDINKSだったりで子どもがいないベテランの先生も対象になってしまうことがあります。
特に「子どもを産んだことがないくせに」はかなり強烈で理不尽にも思えますが、これって保護者を不安にさせたり不満を募らせたりしてしまった結果の、いわば捨て台詞なんですよね。
教員だった頃は子どもがいなかったわたしですが、退職後には出産を経験し、保護者の視点や立場というものが少しずつ分かってきました。
そんな今だからこそ、子どもがいない担任は本当にハズレなのか?について改めて考えてみることにしたんです。
- 新任教員の人
- 初めて担任や副担任を持つ人
- 保護者との関係性づくりに悩んでいる人
- 「子どもを産んだことがないくせに」と言われた経験がある人
こんな方におすすめです。ぜひ最後までご覧くださいね。
「ハズレ」という言い方は
本来どうかとは思いますが…、
今回は分かりやすくするために
このように表現していきますね
子どもを産んだことがない担任は、ハズレなのか?
教師としての未熟さをすり替えられてしまう
子どもを産んでいようがいまいが、生徒たちと接する立場としてはあくまでも教師なので、親としての経験値の有無は関係ないはずなんですよね。
教師としての向き不向きはあると思います。
ここでいう向き不向きというのは教師の資質がどうこうという難しい話ではなく、もっと感覚的な、生徒のタイプとの相性という意味合いです。
- 勉強が得意な子をさらに伸ばすのが得意
- 人間関係作りが苦手な子を励ますのが得意
- 大人数(あるいは少人数の)の指導が得意
- 宿題の量や頻度のコントロールが得意
- 授業よりも雑談や相談のほうが得意
これが生徒とうまく噛み合わなかった時に「うちの子のことをわかってくれない」と保護者が不満を募らせるわけですが、相手が経験の浅い先生や子どもがいない先生である場合に「子どもを産んだことがないくせに」という発言につながってしまうんですね。
でも実際には、教師としての経験が少なかったり相性が悪かったりというだけで、先生自身の子どもの有無は関係ないのです。
「子どもがいる先生」が「うちの子のことをわかってくれない」場合だって多くあるはずなのに、相手に子どもがいないと分かった途端「子どもを産んだことがないくせに」という捨て台詞が選ばれてしまう…
言われる側としてはなんとも辛い話です。
「教師としての未熟さ」が
「子どもの有無」に
置き換えられてしまうのは、
なんとも違和感があります
子どもがいないベテランの先生も、ハズレ?
わたしの周囲には、「既婚で子どもがいないベテランの先生」や「独身のベテランの先生」が何人もいらっしゃいました。
普段は何ともなくても、なんなら素敵な先生として認められるような存在であっても、いざ保護者とトラブルになると「先生には子どもがいないからわからない」と言われてしまった経験があると聞いたことがあります…。
単に自分の教師としての力不足が理由なのに、子どもがいないというパーソナルな部分を指摘されて、大変悔しい思いをなさったそうです。
個人的な事情がさまざまあって、
望んだけど子どもがいない先生も
もちろんいらっしゃるわけで…
なおさら辛い話です…
子どもを産んだことがある担任が、ハズレの場合も…
子どもがいる先生が、ハズレなこともある
「子どもがいる先生」が「うちの子のことをわかってくれない」ことだって、多くあるはずなんです。
保護者や生徒に真っ当な言い分がある・教師に非がある場合も、当然あるでしょう。
それは単に教師としての力不足や相性の悪さが理由なわけで、子どもの有無は関係ないのです。
でも「子どもがいる先生」は、「子どもを産んだことがないくせに」とは言われないんですよね…
生徒の不満:「あなたの我が子と比較されても…」
親としての経験がある教師ほど、発言の端々に「うちの子はこうだった論」を含みがちです。
こちらは、実際にある生徒から聞いた不満です。
「△△先生は、うちの3歳の子でもちゃんとお返事するよ!と言ってくるけど、そんな小さい子と思春期のわたしたちを一緒にしないでほしい」
「◇◇先生の家の子は帰ったらすぐ宿題するらしいけど、自分の子どもがちょっと出来るからって、自慢しないでほしい」
これを聞いた時、その通りだなーと思ってしまったんですよね…笑
しかしながら、こういう「子育て分かってる感」を求める保護者が一定数いるのもまた事実なんです。
学級PTAや個人懇談の際に「うちの子は指しゃぶりがなかなかやめられなくてねー」なんて我が子の思い出・話題を出すだけで、なんとなく保護者を味方につけることが出来ると思っている子あり先生は、けっこうな数いらっしゃると思います。
特に「生徒たちよりも年上の我が子」がいる場合に、「子育ての先輩感」を出すというか…
本来は敵とか味方とかっていう考え方はナンセンスで、どの先生も保護者も、「生徒(子ども)の成長を支える協力者」であるはずなんですけどね。
同僚同士でマウント?「自分に子どもがいる=生徒の気持ちがわかる」は誤り
「わたしにも子どもがいるんで分かるんですけどね」という発言を多用する先生も、いらっしゃいます。
若手に限らずミドル世代で子どもがいない・独身の先生が同僚にいる場合だって多いわけですから、「自分の子どもがいる先生=生徒の気持ちがわかる」というニュアンスの発言をすることは、教員同士のチームワークに歪みを生じさせると思います。
今風の言葉だと「マウントを取る」って言うのでしょうか、先生が先生に対して「子どもを産んだことがないくせに」と言ってるようなものですよね。
そもそも当然のことながら子どもたちは一人ひとり違うので、「わたしにも子どもがいるんで分かるんですけどね」という発言を多用する先生には「あなたのお子さんと目の前の生徒さんは、別の家庭の、別の人間ですよ?」と言いたくなってしまいます。
そもそも…我が子のことだって、
100%分かるわけじゃないのに…
「子どもを産んだことないくせに」の理由・真の意味
それでも、自分が実際に子どもを産んでみて改めて実感した気持ちもあります。
なんとか親として頑張ってきた、そんな自分(パパ・ママ)の頑張りを学校の先生にも認めてほしい・分かってほしいという感情です。
- 友人関係の悩みがあり、家で話を聞き続けることがもう限界
- わたしはこんなに頑張って支えているのに、子どもが不登校
- どんなにわたしが声をかけても、忘れ物が減らない
- せっかく私立に入れてあげたのに、勉強に意識が向かない
「子どもを産んだことがないくせに」と言ってくる保護者は、こんな不安や悩みを抱えているのかもしれませんね。
教室に座る数十人の生徒たちというのは、「ちょっとしたことで命の危険に晒される赤ちゃん時代を経て、やっとの思いで中学生まで成長させた、それぞれの家庭にとってかけがえのない我が子」なんですよね。
加えて、わたしは私立校勤務でしたので、ほとんどの生徒たちは長年の塾通いや受験勉強を経て入学してきてくれたという状況でした。
頑張ったのはもちろん生徒本人ですけど親としてもスケジュール管理や金銭面・精神面での支えなど大変だったという方が、多くいらっしゃったことが推察できます。
そういう視点で考えていくと「自分の子どもがいる先生=生徒の気持ちがわかる」ではなく「自分の子どもがいる先生=親としての苦労がわかる」なら、なんとなく理解が出来ます。
「子どもを産んだことがないくせに」という捨て台詞は、「苦労しているわたし(パパ・ママ)の気持ちを、先生もっと分かってよ!」が真の意味なのかもしれませんね。
「子どもを産んだことないくせに」への対処法
不安にさせたこと自体には謝罪する
「子どもを産んだことがないくせに」という捨て台詞が不適切であることはさておき、先生(学校側)の対応によって多かれ少なかれ生徒や保護者を不安にさせたこと自体は事実です。
その点については「今回の対応で不安な気持ちにさせて申し訳ない」という気持ちを生徒や保護者に伝えることで、事態が収束する可能性が高いです。
ただ、重要なのは子どもがいないこと自体が申し訳ないわけではないということです。
ここで当該教師本人が「子どもの有無は関係ないですよね」と言っても、おそらく「生意気なことを」などと思わせてしまって火に油になってしまいます。
なるべく学年主任や管理職など第三者に入ってもらって「教職員の個人的な部分への指摘は避けてほしい・不適切である」というような話をしてもらえるとよりよいとは思います。実際、教師の力量とは関係ない話ですからね。
「保護者への敬意」を意識して接する
こちらは未然に防ぐ対処法になります。
生徒・保護者との日々の信頼関係作りができていれば、トラブル発生時にも「子どもを産んだことがないくせに」はある程度回避できるはずです。
詳しくはこちらの「20代担任が入学式の挨拶で伝えたいこと」の記事にも具体例を書きましたが、いかにして「この担任なら安心できるかも、寄り添ってくれるかも」と思ってもらえるかが重要になってきます。
とにかく家庭と連携して一緒に育てたいという気持ち、そして保護者に対する「ここまで育て上げたことを尊敬します」という気持ちを込めて話をすることが、「うちの子のことをわかってくれない」と思わせないことにつながります。
これが一番の対策になるっていうことですね。
本当は入学式が最適なタイミングなんですけど、その後になってしまった場合でも、日々の電話や個人懇談のタイミングで伝えていくことはできるはずです。
そして「保護者への敬意」を意識するあまり直接的に「パパ・ママも頑張ってるよね!」と言うと上から目線な感じでこれまた火に油なので、「保護者の方も大変かと思いますが、毎日のお声がけありがとうございます。一緒に支えていきましょうね!」ぐらいのスタンスがおすすめです。
こういった対処法について、わたしは先輩教師に教えてもらって実践していたのですが、親になってみて改めて効果的な対応だったなと思ってます。
正直、初担任の時にはやっぱり
「子どもを産んだことないくせに」
と言われましたけど…
これを実践することで、とりあえず
表向きには言われなくなりました!
保護者自身にトラウマがあると難しい場合も
どれだけ先生や学校側が真摯な対応をしても、保護者自身の子ども時代に何らかのトラウマがあった場合、その家庭とはうまくいきにくい
これは若手の頃にとある教員研修の際に聞いた、印象に残っている言葉です。
パパ・ママ自身が子どもの頃に「先生とうまくいかなかった」「先生が守ってくれなかった」などの辛い経験があると、自身の子どもにも「学校の先生はクズだ」というような発言を日常的に繰り返す場合があるっていうことなんですよね。
もし保護者が「子ども産んだことない先生が担任なの?ハズレだね!」なんて家で言おうものなら…
大袈裟にいえば洗脳や刷り込みというか、そんな環境で育っていれば教師のことを信用しない子どもになりやすいのも仕方ないし、その家庭とはどうしてもうまくいきにくいんです。
トラブルは、すべて学校のせい・先生のせい。
うちの子は悪くない。
悲しい話ですけれど…
でも、自分(教師側)の努力だけでは事態の好転は難しいケースもあるんだとハッと気づけた言葉でしたし、「子どもを産んだことがないくせに」以外のトラブルでも当てはまる、経験が浅い自分の心を守るために役立った言葉でした。
いつか、その家庭の子には…
「ほんとにハズレかな?」
「いい先生もいるのにな」と
気付いてもらいたいですし、
こちらも頑張りたいですけどね
おわりに
今回は、保護者とのトラブルで聞かれる「子どもを産んだことがないくせに」や「子どもがいない担任はハズレ」という捨て台詞的な発言について、元教師であり出産を経験したわたしなりに理由や対処法をいろいろと考えてみました。
表題の子どもがいない担任は本当にハズレなのか?に対しては、もちろんNOです。
ただ保護者側になってみて改めて分かったことは、「うちの子のことをわかってくれない」だけではなくて、保護者自身の「苦労しているわたし(パパ・ママ)の気持ちをもっと分かってよ!」という気持ちから出てしまう言葉なのかもしれないなということです。
とはいえ教師側としては、教師としての力量を「子どもの有無」に置き換えられてしまうのは違和感がありますし、「子どもがいる先生」が「うちの子のことをわかってくれない」場合だって多くあるはずなので、やっぱり的外れというか理不尽に思いますし、モヤッとしてしまいますけれどね…。
いっそのこと「あなたのような力のない先生に」と言われた方がすっきりしますし、その後の教師としての反省にも生かせます。
保護者のメンタルを支えることも
教師の力量の一つなんでしょうが、
教師も人間なので…辛いものは辛い
保護者との関係性づくりに悩んでいる先生にとって、この記事が少しでも参考になると嬉しいです。
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